リュブリャナを世界文化遺産溢れる街に変えた「魔法使い」現る  その1

---戦間期のプレチニクによる数々の設計・建築


 本ページと次のページは、「Ljubljana:The Timeless,Human Capital Designed by Jože Plečnik」(PDF)(「「リュブリャナのヨジェ・プレチニク作品群 ― 人間中心の都市デザイン」リュブリャナによるユネスコへの推薦文。以下「Lj–P群」として示す) を翻訳、参考にして構成したものです。ただし、掲載した建物の写真はすべて私が現地で2024年、2025年に撮影したものです。しかし、現地に行く前にこの資料を読まなかったので、各世界遺産の構成要素で取り損ねたものや、見るべきところを分らず撮影しなかったところが少なくないことをお断りしておきます。したがって、このページと次のページはこの世界遺産の全面的な説明サイトではありません。主として戦間期に、プレチニクというスロヴェニア人の偉大な企画、業績があったという輝かしいスロヴェニア史の一端を、私が撮った拙い写真で見える範囲で紹介するだけのものです。でも、この世界遺産についての日本人の作ったサイトはいくつかありますが、これから紹介する6つのすべてを網羅していないものや、画像は自分で撮影したものでなく購入したものを貼ったものなどであり、6つすべてを現地で撮影して作ったサイトは私のこのサイトだけだと生意気ながら自負しております。この世界遺産に関心のある方が、「Lj–P群」を事前によく読み、この私のサイトも参考にして、現地に行き撮影して、より完璧なサイトを作って下さることを期待しています。

 1872年にリュブリャナに生まれたJože Plečnikヨジェ・プレチニクは、ウィーンのオットー・ワーグナーの下で建築や内装を学び、卒業後はワーグナーの設計事務所で働いた。1911年にプラハの大学で教鞭を執りつつ、主任建築家としてプラハ城を含む地区の改修を担当した。 1921年にリュブリャナに戻ると、建築学校の教授に就任。市に対して、陸軸と水軸という設定した二つの軸を中心にし、歴史的建造物とも調和させた都市計画案を作成、提案した。 プレチニクが目指したのはスロヴェニアの歴史を引き継ぎ、スロヴェニアを象徴するにふさわしい都市の創設と、市民の暮らしに焦点を当てた、人間を基準とした都市の設計だった。彼が設計し、建築したものは、橋、堤防、水門、プロムナード、図書館、市場、広場、教会から墓場の入口などまで多方面に及んだ。① そして今それらは世界文化遺産となっている。彼は、まさに次から次へと「魔法」を使ったかのように、歴史的に見れば短期に、リュブリャナを変えた男なのである。
 
 ①から⑫で示す出典は、このページの最後にまとめて記した。また、以下の文中の※★などの記号とアンダーライン、( )のその説明部分は私注を示す。
1915年のプレチニク(Wikimedia Commonsより)

 2025年時点で、彼の設計で建築した6点が世界文化遺産に登録されている。これらは、戦間期スロヴェニアの「華」であったし、現在も多くの人々を世界中からリュブリャナに呼び込んでいるものである。この6点を完成したとされる年代順に紹介しよう。 なお、6点の遺産のうち、私が付けた番号1のアッシジのフランチェスコの教会と、2のローマ時代の城壁は、「Lj–P群」によると、それぞれ1974年、1953年に改修がなされ、2025年の時点の紹介する写真のようになったとのことだが、それらがプレチニクの指示や遺志に沿ったものだったかは確認できなかったので、それぞれの完成年は「Lj–P群」に記されているその改修時点を外したものとしたことをお断りしておく。これから示す1から6の順番は、その考えで判断した、古いものから新しいものへの完成順とした。
 
1. Church of St. Francis of Assisi アッシジの聖フランチェスコ教会(1931年完成)
 アッシジのフランチェスコは13世紀イタリアの修道士で、清貧な生活をし、貧者や病人の救済に尽くしたとされる。
 「リュブリャナ中心部から北西へ約2km離れた シシュカ地区に位置する。・・・四本の独立した柱が入口壁に直接面して※ポルティコ(※柱列で支えられた屋根付きの玄関)を形成している。柱は★アーキトレーブ(★柱の上に直接載る水平材)と、 その上にある開放式§ティンパヌム(§建物の入口上部にある半円形または三角形の壁面)を支え・・・ている。 ・・・アーキトレーブ上には、♯アッシジの聖フランチェスコ像(♯勉強不足だったため、これは直接の撮影をせず、下の右写真に少しだけ写っている)が据えられている。 外側の側面の中央部には柱状装飾が配置され、 柱の構造を強調または反映している。1階部分では 柱状装飾の間ごとに5つの大型窓が設けられ、内部の身廊を照らす。
 鐘楼は角柱型の基壇の上に設置されており、・・・円筒形の構造へと続いている。鐘楼の角には、角柱型の台座の上に人工石で造られた高いピラミッドが立ち、角の接合部を強調している。円筒形の塔は二層の列柱によって構成されており、上部には十字架を戴いた高い円錐屋根が載っている。この全体構成は、ルネサンス期の建築的構成を想起させる。
 教会の中央◆身廊(◆しんろう。教会の入口から主祭壇に至る中央の通路部分)は 床面より二段低い位置に配置された二十本の柱で囲まれた正方形である。身廊中央の主祭壇には 高いピラミッド型の♪聖櫃(せいひつ。聖別されたパンを入れる容器)が設けられ、 聖なる空間の精神的中心を画している。・・・教会の内壁は煉瓦張り、 天井は木製張り、 中央身廊の舗装はアスファルト基盤の上に敷かれている。 教会には精巧に設計・制作された祭壇が複数ある。その他の装飾には石・木・金属工芸品、主に青銅・真鍮・銅・・・製の小型吊りランプ(多色ガラス付き)、シャンデリア、聖体顕示台、聖櫃、聖体容器、大理石の洗盤、聖具室の木製・大理石・真鍮製食器棚とテーブルが含まれる。
 


 

聖フランチェスコ像の一部


教会の内部



2. Roman Walls in Mirje ミリェ通りのローマ時代の城壁(1938年完成)


 「ローマ都市※Emona(※紀元15年から、リュブリャナがエモナと呼ばれた城郭都市として防衛線の一端を担った。5世紀にフン族らによって破壊された)の記念的遺構であるローマ城壁は、現在のリュブリャナ中心部の南縁、ミリェ地区に最も良好な形で残されており、保存された城壁はその南端の大部分を占めている。東はバルヤンスカ通りから、西はスネジュニシュカ通りまで延びている。
 ヨジェ・プレチニックは、著名市民の一部が城壁の撤去を望んでいたにもかかわらず、城壁の保存と修復を強く主張した。彼の都市計画では、城壁を二つの主要幹線道路の間に目立たぬ形で組み込んでいる。・・・
 プレチニックは、古代遺構の構造に大きな介入を加えることなく再構成を行った。たとえば、バルヤンスカ通り沿いの東側通路には、粗く切り出された柱と礫岩の柱頭を並べただけの簡素な構成とした。・・・南側の壁には半円形の開口部が二つ設けられ・・・ている。

 最も象徴的かつ中心的な構成要素は、ムルニコヴァ通りの通路に設けられた段状ピラミッドである。これはローマの★Gaius Cestius★(ガイウス・ケスティウス。古代ローマの政務官)のピラミッドやアッピア街道沿いのカタコンベに着想を得たもので、樽型♯ヴォールト(♯アーチ断面を水平方向に連続させた構造)を持つピラミッドは、大形切石、古い建築部材、そして近隣の研究所に残されていたコンクリート試料ブロックによって構成されている。
 ピラミッドの頂部には小さな円形石柱が立ち、・・・南側入口の半円アーチは、・・・柱頭付きの柱二本で支えられている。通りとミリェ地区の間には六段の階段が設けられている。・・・
 城壁の西端では、スネジュニシュカ通りからの通路が半円形アーチの形をとり、中央階段と両側の公園整備によって構成されている。・・・この通路は、古代の円形劇場を想起させる凸凹の半円形階段モチーフによって構成されており、設計は緑地との調和にも配慮されている。



バルヤンスカ通り沿いの東側通路の、粗く切り出された柱と礫岩の柱頭を並べたもの

 

左は、西端の、スネジュニシュカ通りからの通路の半円形アーチ


 


 

3. St. Michael's Church 聖ミカエル教会(1939年完成)

 ※大天使ミカエル(※聖書の「ヨハネの黙示録」で、天界にいた龍と戦い、地上に追い落とした天使で、最後の審判でも神を補佐したと描かれている)に捧げられた教会堂。
 「聖ミカエル教会は、リュブリャナ中心部の南、湿地帯のČrna vasチュルナ・ヴァス近郊に建てられている。教会は横断的な軸を持つ縦長の聖堂建築であり、身廊は1階に設けられている。・・・教会へのアクセスは単一の階段による。階段の両脇には低い段差の柱が並び、訪問者の上昇を緩やかにしながら、空間にリズムと儀礼的な演出を与えている。階段の終端には、壁をくり抜いた形の高い鐘楼が立ち、入口の象徴として機能すると同時に、構造的にも入口の一部を形成している。・・・
 地盤の支持力が低いため、教会は350本の木杭の上に建てられており、軽量構造として木材の壁と窓を用いている。壁は石材、煉瓦、そして排水管を柱として再利用して構成されている。柱と壁の間の開口部には木材と格子窓が嵌め込まれている。鐘楼の頂部にはコンクリートの持ち送り板が載せられ、その上に金属球と円形の記号を戴いた直方体の小神殿が設置されている。
 夕方遅くに行ったため、残念ながら入口は閉まっていて中に入れなかった。

 



4. Green promenade from Trnovo Bridge along Vegova Street with the National and University Library to Congress Square with Zvezda Park    
   トルノヴォ橋からベゴヴァ通りを通り、国立・大学図書館を経て、ツヴェズダ公園のあるコングレス広場に至る緑のプロムナード (1942年完成)
 「トルノヴォ橋、ヴェゴヴァ通り、国立大学図書館、コングレス広場、そしてズヴェズダ公園から成るこの緑のプロムナード、すなわち陸の軸は、それぞれが独自の空間的演出を用いた小規模な介入によって構成されており、歩行者を導く役割を果たしている。・・・
 トルノヴォ橋は主要な 陸上軸線の起点となる。・・・ 幅17メートルのこの橋は、グラダシュチツァ川の 最終区間改修工事の一環として建設された。 同川は・・・ プレチニク設計のトルノヴォ埠頭が始まる地点で リュブリャニツァ川に合流する。 この橋はグラダシュチツァ川設計の中核的モチーフであり、 リュブリャニツァ川に架かる橋と同様に 川上の広場として構想されると同時に、トルノヴォ教会へと続く玄関口としての役割も担っている。橋には 五つのピラミッドが設置され、その頂点は視覚的に中心的なランドマークである※トルノヴォ教会の双塔ファサードと結びつく(※私の勉強不足で教会の写真を撮らなかった)。・・・二基の ピラミッドが川の両岸に広い台座の上に立ち 、中央には 橋の欄干に立つ★Nikolaj Pirnat(★ニコラ・ピルナト 1903-48スロヴェニアの彫刻家、画家)作の聖ヨハネ洗礼者像に向き合う細身のピラミッドが 立っている。橋の両側には人工石製の 巨大なざくろの蕾形の小柱群が支える欄干が 設けられ、・・・中央空間は橋の両側に並ぶ四本の白樺の列によって区切られている。これらの白樺はコンクリート製の橋に埋め込まれた窪みから生えており、ヨーロッパでも数少ない植樹された橋の一つである。」橋そのものだけが世界文化遺産の「構成要素(Component Parts)」で、周囲の堤防、シラカバをはじめとする街路樹などは、遺産そのものの構成要素ではないが、高層建築や交通インフラなどが、資産の景観や歴史的文脈を損なわないように制限され、資産とその周辺環境とのつながりを保ち、文化的意味や空間的構成を守る、「緩衝地帯(Buffer Zone)」とされている。
 
   

 
トルノヴォ橋

「陸の軸」として、ヴェゴヴァ通り、通り沿いの国立・大学図書館(内装も含む)、ツヴェズダ公園のあるコングレス広場へと至る緑のプロムナードが、世界文化遺産の構成要素となっている。
 「ヴェゴヴァ通りは、コングレス広場からエモンスカ通り、トルノヴォ橋へと南方向に延びる都市軸の一部である。この通りはリュブリャニツァ川の堤防と並行して走り、横断的な接続や空間的アクセントによって川と結ばれている。通りの両側には、4つの主要な教育機関——高校、大学、音楽院、国立大学図書館——が並んでいる。」 ただし、高校、大学、音楽院の建物は世界文化遺産のBuffer Zoneに入るが、遺産そのものの構成要素ではない。「通りの東側にはカエデ並木があり、その並木と通りに並行して、音楽院前と国立・大学図書館に沿って、図書館の煉瓦外観デザインと視覚的に連続している※テラス(※少し高くなった帯状空間)が配置されている。音楽院前には、縁石で区切られた前庭的テラスがあり、・・・スロヴェニアの音楽家を記念する胸像・・・が並んでいる。・・・国立・大学図書館に沿ったテラスの壁は・・・ローマ時代のエモナと中世リュブリャナの城壁を模している。

北側コングレス広場からヴェゴヴァ通りを見る。左の建物はリュブリャナ大学。右の白い建物は高校。


南側イリリア記念柱からコングレス広場に至るヴェゴヴァ通りを見る。上の北方向からのものとは逆方向の情景。


 

左写真の白い建物が音楽院。右写真の赤煉瓦を使った建物が国立・大学図書館


 「このテラスの・・・南端には、スロヴェニアの重要な詩人Simon Gregorčič(シモン・グレゴルチッチ。1844-1906年。Wikipediaによると司祭。代表作「Sočiソチャ川」 「Človeka nikar!人間を責めるな」など。)に捧げられた記念碑が設置されている。通りの終点には、フランス革命広場の南端に立つ★イリリア州記念柱(★これについては私のサイト「ナポレオン様様」をご覧ください)がある。この柱は1×1メートルの石ブロックで構成されており、フランス占領下およびイリリア州時代に導入された十進法による標準測定単位制度への移行を象徴している。

 

シモン・クレゴルチッチ像

ヴェゴヴァ通りから見たイリリア州記念柱


 国立・大学図書館は「1774年に女帝マリア・テレジアによって発令された勅令により創設された。・・・第一次世界大戦後の1919年には州立参考図書館と改称され、スロヴェニアの中央図書館として、同地域からの納本権を正式に取得した。・・・リュブリャナにスロヴェニア初の大学が創設されると、この図書館は中央大学図書館としても機能するようになった。・・・1938年には、大学法および一般大学令に基づき『大学図書館』として正式に命名された。・・・新しい大学図書館の設計案は、1930年から1931年にかけて建築家ヨジェ・プレチニクによって作成された。しかし、当時ベオグラードに拠点を置いていた中央政府は、スロヴェニアの新図書館建設に抵抗を示した。学生たちによる粘り強い抗議とデモがその流れを変え、1941年には大学図書館が大学のすぐ近くにある新たな記念的建築へと移転された。プレチニクによるこの図書館は、文化的記念碑として高く評価されている。1945年の解放後、この大学図書館は法的にスロヴェニアの国立図書館として認定され、『国立・大学図書館』と改称された。」ということで、プレチニクの設計になるこの図書館は、リュブリャナ大学の図書館であると同時に、国立の中央図書館でもある。
 「国立・大学図書館は、かつての公爵宮殿の跡地に位置し、その西側は古代都市エモナの東城壁跡に接している。図書館はゴスポスカ通り、トゥリャシュカ通り、ヴェゴヴァ通りに囲まれた建物群の『島』の中にあり、三辺が直角で●一辺(●南辺)が斜めという台形の平面構成は、不規則な敷地形状に合わせて調整されている。建物下部の厚い壁は切石積みで構成され、上部は石材と煉瓦の組み合わせによって築かれている。外面全体には高さのある上部水平帯が設けられ、視覚的な落ち着きを与えている。東西両側からは、主閲覧室に光が差し込むように、二重構造の大きな格子窓が設けられており、それぞれの外窓の前にはイオニア式の柱が立っている。
 私の勉強不足から、内部も世界文化遺産であり、申し込めば見学できることを知らなかったため、内部の写真はありません。お粗末の極みです。

 

(左)リュブリャナ城から見た図書館。 (右)図書館の西側。格子窓とイオニア式柱にも注目


 「町の中心部に位置するコングレス広場・・・は長方形で、東西軸に沿って配置されており、町の中でも特に著名な建築群に囲まれている。・・・コングレス広場の傾斜した床面は、∴コンクリートスラブ(∴鉄筋コンクリートの板状のもの)の格子状舗装によって構成されており、空間全体に中立的な『カーペット』のような効果を与えつつ、Ursuline Churchウルスラ会教会とスロヴェニア・フィルハーモニーの間にある空間の遠近感を強調している。広場の中央には、旧市街の街灯が並ぶ軸線が走っている。ウルスラ会教会の前では広場が広がり、その教会軸上には三位一体像が立っている。この像は、ヨジェ・プレチニクによって◇Ajdovščina Square(◇アイドフシュチナ広場。Google Mapsでは検索できないが、コングレス広場から北へ約200mのSlovenska cestaスロヴェンスカ通りのAjdovščina バス停のあたりの狭い広場)から移設されたもので、視覚的に教会とフィルハーモニーを結びつけている。広場の南側は、古代都市エモナの北側城壁跡に沿って並ぶ建物群によって囲まれている。
 ズヴェズダ公園もまた長方形で、東西軸に沿って配置されている。公園の中央部は空間的な広がりを持ち、プラタナス並木によって『空間の中の空間』、すなわち柱廊のようなホールの印象を形成している。周縁部は縁石と車止めによってさらに強調されている。公園内には・・・小道が交互に配置されており、遠近感を生む構成となっている。・・・ヴェゴヴァ通りの終点、広場と公園の接点には、プレチニクによって☆terrazzo テラゾー仕上げの気象装置(☆砕いた大理石や石材をセメントに混ぜて研磨した材でつくった気象装置で気温・湿度・気圧などを表示するもの)が設置された。

リュブリャナ城から見たコングレス広場と隣のズヴェズダ公園。ここから正面に見える建物がUrsuline Churchウルスラ会教会。

コングレス広場からリュブリャナ城を望む。正面の建物がスロヴェニアスロヴェニア・フィルハーモニーの建物


    

広場の三位一体像。間抜けなことに裏側から撮ったので、一番上の聖霊を示す白い鳩像と神とイエスの顔と、さらにマリアが幼児のイエスを抱いている姿が見えていない。
ちゃんと正面から見た写真が、Google Mapsのリュブリャナの「Pillar of the holy Trinity」の写真に載っている。
右はテラゾー仕上げの気象装置


ズヴェズダ公園


<出典>
①サイト「リュブリャナのヨジェ・プレチニックの作品群-人間を中心とした都市デザイン - 世界遺産データベース」 の一部を引用して簡素化
②「Lj–P群」p74、p76の翻訳より
➂「Lj–P群」p50、p52の翻訳より
④「Lj–P群」p70の翻訳より
⑤「Lj–P群」p34、p36の翻訳より
「Lj–P群」のpp33-49の翻訳、説明より
⑦⑧「Lj–P群」p38の翻訳より
⑨「Lj–P群」p40の翻訳より
➉国立・大学図書館のサイト  https://www.nuk.uni-lj.si/eng/  の history より翻訳
「Lj–P群」p42の翻訳より
「Lj–P群」p48の翻訳より