リュブリャナを世界文化遺産溢れる街に変えた「魔法使い」現る その2
---戦間期のプレチニクによる数々の設計・建築
5. Plečnik’s Žale — Garden of All Saints プレチェニクのジャレ—諸聖人の庭(1944年完成①)
Žaleというのは、リュブリャナ駅から北東に歩いて約30分の国立ジャレ中央墓地のことである。ここには、ここで紹介するプレチニク建設の墓場入口部分の建物だけでなく、第二次大戦で戦没した敵味方の多くの墓や記念碑があるため、私は2日続けてリュブリャナでの旅程で真っ先に通った(何というマニアックな旅行をしたことか!!)。1日目は、ここまで歩いて来た上に、広い墓場の中をあちこち動き回ったため、帰りにすぐ近くにバス停を見つけ、駅からバスで来られることを初めて知って、どっと疲れが出た。そして中で写真を取っていた時、「本物」のヨーロッパの墓掘り(墓場の中のある戦没者たちの記念碑の場所を、たまたま近くにいたので訊いた人たちがシャベルカーで穴を掘っていた)、葬列、埋葬に初めて遭遇し、私には強烈な思い出が残っている場所である。
この墓地は、1906年に設置が始まり、第一次世界大戦では、各陣営の戦没兵が多数埋葬された。1931年に新たな区域(B区域)が拡張され、それまでの区域はA区域となった。1936年に新たにプレチニックに設計が委託された新区域は「プレチニックのŽale」と呼ばれ、1944年に完成した。そこは南西方向に突き出た三角形の区域で、巨大なアーチを備えたプロピュライア、小礼拝堂群、補助的建築物などを含む建築空間である。なお、礼拝堂の撮影は一部のみであリ、補助的建築物については撮影しなかった。
この地図の中のプレチニク・ジャレの拡大したものには、Kapela sv. Ahaca、Kapela sv. Jakobaの位置が違うなど誤っているところがあるので要注意!!
下のジャレ墓地の公式サイトの写真の地図が正確のはず。
https://www.zale.si/en/zale-company/our-cemeteries/how-to-reach-the-cemeteries/zale-cemetery-chapels-of-rest/
プロビュライアとは、聖的な場所に入るための前門、というような意味である。諸聖人の庭、と呼ばれる区域へと続く広い2階建ての柱廊列をもつものである。柱廊の門の上部には、キリストとマリアの2体の彫刻が背中合わせで立っており、これは※ボリス・カリン(※Boris Kalin, 1905–1975スロヴェニアの彫刻家の作品である②。「マリアとキリストの像は、この壮大な入口そのものの二重の意味を表している。キリストの像は外側を向いており、生者の世界と積極的な生活の原則を表している。一方、マントをまとった守護聖母マリアの像は内側を向いており、死者の世界、静寂、平和、そして瞑想を表している。➂」
「入口」としてのプロピュライア

「入口」を入った側から見たプロビュライア。このように「表」も「裏」も両翼が突き出した二層建てになっている

外を向くキリスト像(左)と、内を向くマリア像(右)
プロピュライアを入ると、正面の場所に四つの柱で支えられた天蓋をもつ、棺を置く台があり、さらにその後方に「より大きく強調されたoratory祈禱所の建物がある。④」

プロピュライアとこの祈禱所を結ぶ、「中央軸線左側、北東方向には四つの安息礼拝堂が 配置されている。八角形の聖ペテロ礼拝堂、ギリシャ教会を想起させる聖ヤコブと 聖母マリア礼拝堂、ギリシャ神殿または宝物庫を模した聖ヨハネ礼拝堂が敷地の周囲に沿って並ぶ。⑤」「建築家は安息の礼拝堂とその他の施設を配置した。 これらは故人への最後の別れに必要な施設である。⑥」
それぞれの聖人については、一番最後の方で説明する。日本語での名前の呼び方は、日本のカトリックのものとした。ただし、もし間違っているものがあれば、ご指摘願います。

左から聖ペテロ礼拝堂、聖ヤコブと聖母マリア礼拝堂、聖ヨハネ礼拝堂
「一方、墳墓として設計された聖アカティウス礼拝堂は祈祷所の近くに立つ。 軸線の右側には生垣に沿って小道が走る聖クリストフォロス礼拝堂が立つ。 礼拝堂の隣には立方体の聖ニコラオ礼拝堂が、やや右寄りに聖アンデレ礼拝堂が位置する。後者は長方形の建物で ・・・この礼拝堂は、ローマの浴場を思わせる円筒形ヴォールトと開放アーチを備えている。 曲がり角では、聖アンドレ礼拝堂がアッシジの聖フランチェスコ礼拝堂に接し 、続いてアーケードの上に高い天蓋を配した設計の聖ヨセフと聖アントニオの二重礼拝堂が あり、さらに聖ゲオルギアスと聖キリル・聖メトディオ礼拝堂が続く。 後者の右側には 建築家が非信者向けにアダムとイブの礼拝堂を追加した。⑦」「礼拝堂は、古典ギリシャ様式からビザンチン様式、オリエンタル様式まで多様な建築様式で設計されている。三様式を融合させたものもあれば、純粋な想像力に由来するものもある。こうしてプレチニクはあらゆる宗教の平等という理念を深化させた。⑧」アダムとイブの礼拝堂は、「ユダヤ教やイスラム教など非キリスト教徒にも対応する ⑨」。

左から聖アカティウス礼拝堂、聖クリストフォロス礼拝堂、聖ニコラオ礼拝堂


以上、GoogleMapsの地図、写真 とジャレ墓地公式サイトの写真地図を照合しながら、私が撮った礼拝堂を特定したが、もし間違いがあったら指摘願います。
聖ペテロ、聖ヤコブ、聖ヨハネは、最後の晩餐にいた十二使徒のメンバー。
聖アカティウスは、殉教者の1人である聖人で、ローマの軍人だったがキリスト教信仰を貫いたため304年ころ斬首されたと言われる。➉
聖クリストフォロスは、『黄金伝説』の日本語訳本ではクリストポルスとなっている。現在のパレスチナの地の庶民の出で、この世でいちばん強い王を見出して使えようと思い立った。そして、初めに、強いとされていたので仕えた王が悪魔を怖がり、悪魔がキリストを怖がったので、キリストを探した。そして、ある人から、渡るのが困難な川で多くの人を担げばキリストに出会える、と言われそれを実行していた。あるとき小さな子供から頼まれて肩に担いで川を渡っていたらその子がどんどん重くなり、水嵩も増して溺れそうになった。やっとのことで川を渡ると、子供は「この世界を創造した者を肩にのせた」と言い、自らキリストだと名乗った。彼はその後キリスト教の布教者としてとして48,000人を改宗させたと言われる。彼の名は「<キリストをになう者>と言う意味である。⑪」リトアニアのビリニュスでは街の守護聖人として信仰されている。
聖ニコラオは、「4世紀、小アジアのミュラという地で司教を務めたといわれており、貧しい人を哀れみ、善行を行っていたことで知られていた」ので、サンタ・クロースのモデルになった、とこれもたくさんのサイトで言及されている。
聖アンデレは、十二使徒の1人。
聖ヨセフは、スロヴェニアではイエスの養父を指すのが一般、と多くのサイトにある。
聖アントニオ(1195-1231)は、アッシジの聖フランチェスコによって選ばれ、パドヴァやボローニャで神学を教えたり、異端者に説教を行った。⑫
聖ゲオルギアスは3世紀末のローマ軍人で、キリスト教信仰を貫いたため殉教した。
聖キリルと聖メトディオは、9世紀にギリシャで生まれた兄弟で、東ローマ皇帝の命を受け、現チェコ、スロバキアの地域にスロヴの言葉で宣教した。
6. Promenade along the Embankments and Bridges of the Ljubljanica Riverリュブリャニツァ川の堤防と橋梁に沿った遊歩道 (1945年完成)
「いわゆる水の軸は、リュブリャニツァ川の各区間の整備を含み、トルノヴォ堤防、Cobblers’ Bridge靴職人橋、三本橋、プレチニク市場からポリャネ地区の水門に至るまでの範囲を対象としている。また、より包括的な橋梁設計や、町と川を結ぶ個別の要素も含まれている。⑬」
「トルノヴォ堤防は、リュブリャナ市トルノヴォ地区のリュブリャニツァ川沿いに位置しており、町の中心にあるプレシェーレン記念碑から1キロ少々離れた地点に終点を持つ。堤防は、プルレ橋からグラダシュチツァ川がリュブリャニツァ川に合流する地点まで、約400メートルの湾曲した構成で延びている。この堤防は、リュブリャニツァ川に沿って蛇行する・・・細長い空間として設計されており、川面から街路レベルへと緩やかに上昇している。川沿いには石段が一定のリズムで並び、その上には柳の並木に沿った砂地の歩道が続き、さらにその上にはトルノヴスカ通りに向かって上昇する芝生の堤が設けられ、最上部は高さ1メートルの生垣で締めくくられている。・・・プレチニクは柳を10メートル間隔で植栽し、堤防全体にわたって並木を形成した。⑭」

トルノヴォ堤防の一端。石段と柳の並木。
「Cobblers’ Bridge靴職人橋は、・・・橋は幅10メートル、長さ23メートル以上あり、プレチニクが提唱した『川の上の広場』という理念に基づいて設計されている。高さ3.5メートルの柱が欄干上に配置されており、橋そのものが都市的な広場として機能する。・・・欄干は両側とも5つのセクションで構成され、6本の柱によって区切られている。柱頭はプレチニクによるコリント式の解釈で、球体で冠されている。・・・川の中のコンクリート支持体の左右には、三灯式のランプがイオニア式の柱と台座の上に設置されている。橋の四隅では、欄干がリュブリャニツァ川の流れに沿って一セクション分だけ平行に折れ曲がっており、その背景には柳の木が植えられている。これにより、柱の背後に柔らかな自然の背景が与えられている。⑮」

Copprers' bridge。左上に何か工事中の黄色いクレーンがあって無粋なのでぼかした。
「三本橋の構成は、リュブリャナの中心部、プレシェーレン広場に位置し、川の右岸にある中世の旧市街と、左岸に広がる近代的なリュブリャナを結んでいる。この構成は、三つの橋から成り立っており、中央の橋が最も幅広く、すでに1842年に石橋として建設されていた。プレチニクはこの既存の橋の両側に、幅の狭い歩行者用の橋を追加した。・・・ 二つの橋を追加することで、プレチニクは川のテラス(段状護岸)も再構成し、川の流れを河床内で制御・整流する設計を施した。・・・中央の橋は元の形状を保ちつつ、両側の新しい歩道橋と同じ欄干を新たに設置された。この欄干は、階段や堤防の下部、その他の橋の構成要素にも共通して使用されており、空間全体に統一感を与えている。照明は、橋と川岸の接点や複数の要所に設置されており、夜間の視認性と意匠性を高めている。欄干と階段の形状が組み合わさることで、三本橋の構成にはヴェネツィア風の趣が与えられている。・・・三本橋は、漏斗状の構成を形成しており、広く開かれた公共空間として機能している。⑯」

ピンクのフランシスコ教会の前のプレシェレン広場から三本橋を渡って見たところ

プレシェレン広場側からの三本橋
「プレチニクの市場は、リュブリャニツァ川の流れに沿って建つ記念碑的な長方形の建物である。整備された川の擁壁の上に位置し、リュブリャナ中心部の聖ニコラオ大聖堂近くにある。市場は三つの橋の付近から始まり、・・・226メートルにわたってわずかに湾曲した列柱廊を持つ二つの縦長建物が並び、肉屋橋によって隔てられている。クレシヤ広場とヴォドニク広場の間にある長い建物には16の市場区画が、ドラゴン橋まで伸びるやや短い建物には14の区画が設けられている。両建物の中央部には高架の開放列柱空間が設けられ、中央に噴水を配した高い空間を形成している。市場建物は、通り側では1階建て、川側では地上階と地下を含む2階建てとなっており、通り側の湾曲した柱廊は建物正面の店舗群の前に設けられた列柱玄関である。各店舗には半円形の独立した入口があり、1ユニットにつき2店舗分の広さが確保されている。⑰」 なお、肉屋橋とドラゴン橋はバッファーゾーンの一部だが、文化遺産の構成要素ではない。

左写真の橋が肉屋橋

通り側の店舗群。天気のいいときは即席のオープンカフェが出る
「Poljaneポリャネ堤防にある記念的な水門は、都市中心部における中央水軸の終端を示す構造物であり、リュブリャニツァ川が旧市街の集積地を離れ始める地点、ポリャネ橋の近くに位置している。この水門は、都市中心のプレシェーレン記念碑から約1キロの距離にあり、川の両岸を約24メートルにわたって横断している。三つの塔を備えた水上家屋として構想されたこの水門は、市街中心部を流れる川の水位と流量を調節する。 一つの支柱は川の中央に、他の二つは堤防上に直接設置されている。・・・塔の四隅には、巨大で輪郭の際立った・・・柱頭があり、それらは高さを増しながら平坦な屋根へとつながっている。・・・角柱の上に短いドーリア式の柱が立ち、柱頭には神話的グリフィンの頭部で装飾されたエトルリア風の人工石製花瓶が載せられている。・・・本来は純粋に機能的な構造物であるにもかかわらず、プレチニクはそこに美的かつ象徴的な装飾を施すことで、構造物の目的から意識を逸らし、空間に詩的な次元を与えている。⑱」


<出典>
①「Ljubljana:The Timeless,Human CapitalDesigned byJože Plečnik」(PDF)(「「リュブリャナのヨジェ・プレチニック作品群 ― 人間中心の都市デザイン」リュブリャナによる ユネスコへの推薦文(以下「Lj–P群」として示す)p80の表より
②スロベニア語版Wikipedia「Plečnikove Žale」翻訳(一次資料未確認、暫定的参照)
➂スロベニア語版Wikipedia「Plečnikove Žale」翻訳(一次資料未確認、暫定的参照))
④⑤⑥⑦「Lj–P群」p78の翻訳より。
⑧Architectuulのサイト「Žale Cemetery」 https://architectuul.com/architecture/zale-cemetery から一部をコンテンツ(CC BY-SA)により翻訳したもの
⑨サイト「リュブリャナのヨジェ・プレチニックの作品群-人間を中心とした都市デザイン - 世界遺産データベース」より
➉サイト「Agathius The Sacred Tale of Saint Agathius: From Martyr to Miracle-Worker」より
⑪この名前の由来の引用と、私が要約した彼のキリストの川渡しの話は、ヤコブス・デ・ウォラギネ 著 前田敬作 訳 西井 武訳『黄金伝説3』平凡社より
⑫サイト「パドヴァの聖アントニオ」https://shop.thesacredsecret.com/?mode=f94より
⑬「Lj–P群」p54の翻訳より
⑭「Lj–P群」pp.54-55の翻訳より
⑮「Lj–P群」p56p、58の翻訳より
⑯「Lj–P群」p60の翻訳より
⑰「Lj–P群」p64、p66の翻訳より
⑱「Lj–P群」p64、p68の翻訳より