フランスの建築は黄色
1880年代、ベトナム始め、ラオス、カンボジアはフランスの「インドシナ植民地」となった。やって来たフランスは、官庁などの建物を造った。その一部が現在転用されたものも含めてベトナムにはかなり残っている。それらの多くの壁の色が黄色系であり、前々から写真で見ながら不思議に思っていたので、現地のガイドたちに訊くと、様々な答が返って来た。ある人曰く、「黄色はベトナムでは皇帝のみ使える色。フランスが支配者だということを示したため。」 別の人曰く「黄色は暑い日差しを避けることができるため。」 さらにまた別の人曰く「汚れが目立たないため」 またさらに「この色の土を混ぜたら一番堅固になった」・・・どうやら「正解」は無いようである。私は、個人的には、日本人の建築専門家、大田省一(しょういち)氏の次の説明が一番腑に落ちる。「フランス人にとって、黄色い建物は南部にあるものだった。南仏に行けば、たしかに黄色い壁の建築が多い。これは、プロヴァンス地方で産出する※オークルなどの石材に由来するが、建設材料として盛んに使用され、インドシナへも輸出されていた。・・・壁を黄色に塗ることで、建築家たちは南方の地に建つ建築であることを表現した、ということのようだ。」(『建築のハノイ ベトナムに誕生したパリ』 白揚社 p15)※Ocre(私注)
旅行で目にした典型的なものをあげてみよう。
1902年建設のかつてのハノイの総督府。現大統領官邸。ホーチミンもここで執務をしたとのこと。
1911年完成の「オペラ座」。パリのものを模した。1945年8月17日、日本が降伏した隙に、ホーチミンが指導したベトナム独立同盟が、この前の広場で、日本の傀儡政府「ベトナム帝国」擁護の集会を乗っとって「八月革命」の火ぶたを切った。現在はハノイ市劇場。私が行ったときは、テトのための何か飾付けかパフォーマンスの舞台かを設置する作業が行われていた。
ホーチミンの中央郵便局。1891年建設。