我々は同じ言葉を話し使う「スロヴェニア人」だ
---異端新教徒がユニークな文字も作成し、スロベニア語を練り上げ、民族意識形成
①トルバルが初めてスロヴェニア語の本を書く
様々な方言を使いながら、「スロヴェニア語」になっていく言葉を話す人々は、16世紀まで、今のオーストリア、ハンガリー、イタリアなどの領地に散在していた。彼らにはまだ、言語を同じくするスロヴェニア民族、という自覚は無く、共通の書き言葉も持ってなかった。それらの人々に「自分たちは『スロヴェニア語』を話す民族だ」という自覚を生むきっかけを作った先駆者が、Primož Trubar プリモシュ・トルバル(1508-86)である。彼はリュブリャナ近郊の村で生まれ、オーストリア・ザルツブルクで学んだ後、リュブリャナから東約30kmの地の司祭となった後、リュブリャナに戻った。しかし、宗教改革の波の中でプロテスタントに傾倒したため、リュブリャナを追われるに至った。彼はリュブリャナで使われていた言葉を元に、1550年、『Catechismus』(カテキズモ 『教理問答集』)という、初めてのスロヴェニア語での本を著した。また、プロテスタントとして重視した聖書の一部をスロヴェニア語に翻訳もしたり、スロヴェニア語の印刷所も作った。ただし、彼のスロヴェニア語はまだ現在の言葉や文字とは一致してなく、クロアチアで話されていた言葉も混在していた。彼は業績を評価され、胸像が設置されているが、プロテスタントであったため、それはカトリック教会にではなく、リュブリャナのセルビア正教会である「聖キリルとメトディウス教会」の敷地にである。また、プレクムリェ地方のムルスカソボタの市立公園内にも見られる。さらに、スロヴェニアの1ユーロコインはトルバルの肖像を刻んでいる。残念ながら私の手には入らなかったが。
教理問答集(レプリカ)
左がリュブリャナの、右がムルスカソボタのトルバル像
リュブリャナの「キリルとメトディウス教会」とその敷地のトルバル像
②ボホリッチがスロヴェニア語の独自のアルファベット文字と文法を提示シュタイヤーマルク公国の現ブレスタニツァ生まれのアダム・ボホリッチAdam Bohorič (1520-98)は、 後にルター・シュタットと呼ばれるヴィッテンブルクの町で学んだ。1584年に『Arcticae horulae succisivae』(英語:Free Winter Hours)(『自由な冬の時代』)をラテン語で書いたものを出版した。これは、スロヴェニア語の最初の文法書であり、規範ガイドであった。ここで彼が使用を提案したアルファベット文字はドイツ語からラテン文字を多く借用したが、スロヴェニア語独自の発音を記すために、ユニークだが現在は使われていないものを「創作」していた。彼の名前も「BOHORIZH」と書いていた。なお下の本の中で名前がAdamiとなっているのはこの位置での格変化のため。
『Arcticae horulae succisivae』と彼の創作したユニークな文字
リュブリャナの「三本橋」を渡ったすぐのところの家の前にボホリッチの胸像がある
➂ダルマティンによる、標準スロヴェニア語の確立となった聖書の完訳。②のボホリッチを師として仰いだのが、Jurij Dalmatinユーリイ・ダルマティン(1546-89)である。かつてのシュタイヤーマルク公国のKrško クルシュコに生まれ、後にドイツのヴュルテンベルクで学んで、チュービンゲン大学に進んだ。トルバルやボホリッチから資金援助を受けた。旧約、新約の聖書のスロヴェニア語の完訳をなし、1584年にヴィッテンベルクで印刷し、樽の中に隠してスロヴェニアに持ち込んだ。文字はボホリッチの文字を使っていたが、この聖書の訳文はその後のスロヴェニア語の標準となった。
左は出版された聖書(レプリカ)。ダルマティンの故郷、クルシュコのメストニ公園というところの胸像。
故郷クルシュコには、もっと駅から近い、歩いて5分くらいのところに、ダルマティン記念公園がある。3人の違うポーズのダルマティンが聖書を掲げるユニークな像が置かれている。
クルシュコには原発があるというが、2つの公園に行くとき見ることはなかった。逆に予想外の美しい風景がサヴァ川のほとりに広がっていた。
④ブレイヴァイスによるスロヴェニア語文字の確立
1835年、クロアチアのLjudevit Gajリュデヴィット・ガイが、ボホリッチのアルファベットには無い、čšžなどを使ったアルファベットを創作した。後にスロヴェニア民族の統合に大きな役割を果たすJanez Bleiweisヤネス・ブレイヴァイスが、1843年に『Kmetijske in rokodelske novice(農業と職人のニュース)』という新聞を創刊し、このガイ式アルファベットを使用して、これ以後スロヴェニア語書き言葉が現在のように確立した。
(左)ガイ像。2021年に次ページ後述の詩人プレシュレンの像がクロアチアのザグレブに作られたのと引き換えに、リュブリャナ北公園に作られた。 (右)故郷のクラーニに作られた公園のブレイヴァイス像