今も永遠の想い人を見つめる、国民的詩人プレシェーレン
---スロベニア語の表現力の拡大。国歌になった愛国の詩
France Prešerenフランツェ・プレシェーレンは、1800年にカルニオラ公国のヴルバ村というところで生まれた。ウィーン大学で法律学を学び、博士号を取得し、リュブリャナで弁護士事務所の弁護士助手として働きながら、合間にスロヴェニア語で詩を創作した。
「Zdravljica」(乾杯)という詩を1844年に執筆し、46年に公表しようとしたが、その内容がスロヴェニア民族の自立を鼓舞するものだったため、オーストリア当局の検閲により差止めとなった。しかし、1848年のウィーンでの革命により規制が緩和されたため、ブレイヴァイスの新聞で初めて公開することができた。
下にその一部を示すが、内容はスロヴェニア人を讃え、奮い立たせる情熱に溢れたものである。その第7節(私が赤くした部分)は、何と現在のスロヴェニア国歌となっている。だから、一定年齢以上のスロヴェニア人で彼の名前を知らない人はいない。さらに、見ればお分かりだと思うが、「乾杯」の題名にふさわしく、詩の各節の形がグラスの形になっているのもたいへん芸術的に優れていると思う。訳は私がある翻訳ソフトを使った上に、内容がよりわかりやすくなるようにしたもので、原語の厳密な訳ではないことをお断りしておく。なお、ちょっと編集したら、よりリアルなグラスの形になった。ただ、新聞に載った形は、平たいグラスをイメージしているようだ。
ブレイヴァイスの「農業と職人のためのニュース」1848年5月26日付に載った「乾杯」の完全版(右の方)。リュブリャナの国立博物館付属図書館で、集刷版を閲覧、撮影させていただいた。
「Zdravljica」(乾杯)
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プレシェーレンは、スロヴェニアの2ユーロコインの図案になっている上、彼の亡くなった2月8日は、「プレシェーレンの日」として国家の休日となっている。
リュブリャナの国立博物館の入口正面には、プレシェーレンの胸像が据えられている。
スロヴェニア一の名門大学リュブリャナ大学には、「プレシェレンの間」ともいう部屋がある。
さらに、リュブリャナの中心部に彼の銅像があり、初めてリュブリャナを観光で訪れる人の定番の訪問地となっているが、この像はある女性、彼が身分の差のため結婚できなかった想い人、 Julija Primic ユリア・プリミッツを見つめているように立てられている。彼女は裕福な商人の娘で、弁護士助手とはいえ農民出身のプレシェーレンに対し、彼女の母親が激しく結婚に反対したこともあって彼の想いは果たせなかったという。(https://www.apartmentsinljubljana.com/julijas-palace-ljubljana/poet-and-his-muse 「Julija’s Palace, The Poet and His Muse」より )
リュブリャナ観光の定番となっているピンクのサンフランシスコ教会とプレシェーレン像。その見つめるピンクの↓にユリア像。プレシェーレン像の上は、ギリシャ神話の女神で詩人や芸術家にインスピレーションを与えるというムーサ像。
窓からブレシェーレンを見つめるユリア像。ここが彼女の実家だったとのこと。ユリアから見るプレシェーレン像。
プレシェーレンは、1833年にこのユリアへの片想いの気持ちを「Sonetni Venec」(ソネットの花輪)というスロヴェニア語の詩として書き、翌年リュブリャナのドイツ語新聞『Illyrisches Blatt』で公表した。ソネットとは、14行からなる定型詩であるが、プレシェーレンのこの詩は
①1つのソネットの終わりが次のソネットの初めに来ていて(青字のところ)、全体として花輪のように繋がっているように形を整えていること
②各ソネットの最初の文字(赤字)を繋げると、「Primicovi Julji」(ユリア・プリミッツへ)となっていること
に特徴がある。プレシェーレンは別の女性と結婚したが、臨終のときに、まだユリアを忘れることができなかった、と明らかにしたとのこと(Wikipedia「フランツェ・プレシェーレン」より)。