夏至は草花の冠を被って


 私たち日本人にとって、元旦、正月が特別なように、ラトヴィアの人たちには、夏至の日は1年でもっとも重要な日の一つであるようです。たまたま夏至のころラトヴィアに居合わせ、人々の行動の一端を垣間見たので紹介します。
 ヤーニとよばれる夏至祭りは太陽を尊ぶものです。「自然の力が最高潮に達する時期に、太陽を迎え入れ送り出す様々な儀式を通して、心身を浄化し、また豊作を願う祭りである。」(『ラトヴィアを知る47章』の黒澤 歩氏「14 民俗と祭事」より)。夏至の夜は一晩中起きていて、日の出を拝み、草原の草露や川や湖、海で身体を清めます。
 この日、リーガの東に広がる民族野外博物館で特別な催しがあることをそのサイトで見たので、民族衣装、民族舞踊が大好きな私は、午前中から行って見ました。プログラムが組まれ、11時ころから野外の各地域ごとの場所で、民謡の合唱やダンスが行われて、14時からはメインステージとなるところで、プロの民族舞踊団によるダンスが披露されるようになっていました。下に紹介するのは、ラトガレ地域の展示ブロックでの民謡合唱のものです。左の楽器を弾いていた女性に訊ねたら、彼女の衣装はダウガフピルスのものだとのことでした。


 メインステージの民族舞踊は、各地方の衣装を着たプロのダンサーたちによって何時間も行われていました。下の写真は、その中で、2023年7月の「踊りの祭典」でも見たもので、男性が女性を途中で持ち上げるところが印象的です。


 
 また、会場内では、草や花を環にしたものや束ねたものを提供していました。これは、夏至の習慣の一つで、菊、シダ、ナナカマドの花や、白樺の葉、草、ハーブなどで作られ、被った女性は皆未婚者扱いになるなど、若返りの力や、健康、幸運を招くと言われているそうです。男性は柏の葉を環にしたものを被り、力強さを増せるとのこと。夏至の日の後も、バスの中や街中でこのような環を被った人々を見かけました。これらは、キリスト教が広まる以前の自然崇拝信仰の名残だと言われています。
 詳しくは下記参照

https://www.latvia.travel/ja/xiazhinoozhui 

 Latvia Travel」の「夏至のお祝い」


    

    

取り付けられていた車もありました


 夏至までの6月に、リーガの国立劇場で、R.ブラウマニス(1863-1908)作の『Skroderdienas Silmačos(シルマチ家の仕立て日)』という劇が毎日上演され、多くのラトヴィア人がこれを見るのが習慣になっている、と知り、日本からサイトを通じて運よく夏至の日の夜のチケットが手に入ったので、観劇をしました。
 ストーリーの大要は、田舎の地主シルマチ家の未亡人が、下働きの男と再婚を決め、結婚式の衣装を仕立てるために呼んだ人が、かつての恋人で、彼は足を怪我したこともあり彼女の母から遠ざけられたのでした。彼はまだ彼女に恋心があり、下働きの男性も実は召使の女性を愛していました。様々な事が次々と起こりますが、夏至の朝、下働きの男は未亡人を愛してないことを告げ、仕立て屋の男は気落ちした未亡人に求婚して、結局2組のカップルが成立します。また、この間、シルマチ家を訪問していたユダヤ人と仕立て屋の連れてきたお針子の女性も結ばれ、合計3組のカップルが成立してめでたく終わる、というものです。

「シルマチ家の仕立て日」上演中を示す国立劇場。ここは1918年、ラトビアの独立宣言をした場所でもあります。


 

第1幕では、舞台前の窪んだところが深くなってピアノやヴァイオリンなどの音楽担当が陣取っていました。右のピンク線が主人公のカップルと連れ子。青線が下男下女のカップル。黄色線がユダヤ人・お針子カップル。屋根裏にいる人々は劇中人物ではない「お囃子」担当。

 ラトヴィア語の台詞どころか、ストーリーさえもほとんど分らずの観劇でした。それでも、劇はテンポよく進み、舞台の大道具や役者の衣装も色彩豊かで見ていて楽しかったです。印象に残ったのは、舞台の前面の下で音楽を担当していた人々がいきなり劇のストーリーの一部として、劇に入り込んだことや、それに対して、日本の能や歌舞伎のお囃子が舞台に出ていても劇中人物とみなされないように、屋根裏や草むらの何人もの男女が楽器を鳴らしたり「合いの手」を入れていたことでした。また、劇中で竈が爆発するシーンでは本物の爆発が起こったような大音響が響いてびっくりさせられました。最後にカップルが成立してめでたく終わることだけは知っていたので、誰と誰がくっつくのかも考えながら見ていました。お笑いの要素もあるということも事前情報で掴んでいたので、皆が笑うとき自分だけが笑えないと嫌だな、と思ってもいましたが、回りの観客はほとんど一斉に笑うことは無く、それぞれの人がそれぞれ可笑しいと思うところでくすくす、いひひひ、などと笑っていました。
 終わったのが21時半ころ。まだ外は明るく、歩いて行ったリガ駅の時計は22時を指していました。



  


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