枯葉剤の後遺症の子供たちを訪問


 ベトナム戦争の最中、アメリカ軍はジャングルを利用して神出鬼没する南ベトナム解放民族戦線のゲリラへの対策として、枯葉剤を大量に散布した。また、彼らの農地を破壊し、食料生産にダメージを破壊する理由もあったという。
 「撒布された枯葉剤はダイオキシン類の一種2、3、7、8-テトラクロロジベンゾ-1、4-ジオキシン(TCDD)を高い農度で含んだものであり」(Wikipedia「枯葉剤」より)、その容器のラベルの色から「オレンジ剤」と言われた。このTCDDは非常に毒性が強く、動物実験では特に妊娠中の胎児に奇形を生じやすいという。
 この問題について、自ら撮ったリアルな写真で世界に問い続けているのは、写真家の中村梧郎氏である。ホーチミンの戦争証跡博物館には、彼の有名な写真が何点も展示されている。


これは、博物館の入口の壁にアップで掲げられている、1976年時点でのカマウ岬のかつての「森」で7歳のフン少年が裸足でたたずむ風景。


 そして、31年後に同じ場所で撮った写真も館内に展示されていた。説明には、「37歳となったフンは脳性麻痺またはパーキンソン病の症状が進んでいた。彼を支える12歳の長男ハオ(写真右)が、森で出会ったころのフン少年とそっくりであった。写真の撮影地点は、76年にフンと出会った枯れ木の森と同じ場所である。枯れ木はすでになく、背後は輸出用のエビの養殖池に変わっていた。フンは闘病のかいなく2008年に他界した(カマウ2007)。」


 また、彼のベトちゃんドクちゃんの紹介の写真はあまりに有名である。彼らのお母さんが、枯葉剤に汚染された地域に住み、汚染された井戸水を飲んでいたという。1988年日本人医師4人も交えた2人の分離のための大手術が行われた。ドクちゃんはその後結婚し、男女の双生児の父となり、富士と桜に因んだ名前を付けた。ベトちゃんはずっと脳障害で寝たきりだったが、2007年、腎不全と肺炎を併発し、26歳で亡くなった。


 子供だけでなく、孫の代まで影響があるとされ、現在ベトナムにはこの被害を受けた子供たちの施設がいくつもある。2025年1月14日午後、ハノイの「国際友好村」というところを訪問した。
 ここには120名くらいの30歳くらいまでの子供たちが学んでいる。女性の管理職の方のお話を伺った後、実際に子供たちの教室へ行った。肉体的な障がいが無くとも全体として知的レベルの発達が遅れているとのこと。
 最初にお邪魔した教室では、かなり年長の者もいたが、アルファベットの書き取り練習をしていた。すぐ感じたのは、ダウン症の症状を示す子供が多い、ということだった。子供たちは、私たち一行が入り、一人一人に、覚えたてのベトナム語で「シンチャオ」(こんにちは)と声をかけると、大きな声で喜んだり、こちらに触ってきたりした。中には抱きついてくる子供もいた。

 

  

他にもコンピュータ教室や職業訓練にもなる刺繍をし、販売しているものもあった。上はその販売品。


  

今に残る戦争の跡のスケッチ 

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