実際に見て大きかったB52
当初、核兵器の戦略爆撃機として製作されたB52であるが、ベトナム戦争では1965~68年、そして1972年に12月に通常の爆撃用に使われた。グアム島や、当時アメリカの施政権下にあった沖縄の基地から飛び立って、ベトナム民主共和国に、第二次大戦で日本など各国に落下させたよりも多くの爆弾を落とし、甚大な被害を与えた。ハノイのB52博物館に行ったが、その館の前に、1972年12月にミサイル撃墜した本物のB52が1機陳列されていた。その展示説明によると、B52は
- 全長: 49メートル
- 全幅(翼幅): 56.4メートル
- 全高: 12.4メートル
という巨大な爆撃機である。実際に見てその大きさに驚いた。
B52の周りにそれを撃ち落としたミサイルなどが一緒に展示されていた。
BはbomberのB、52は通し番号で、型の改良やプランで終わったものも入れて52番目のもの、ということである。実際、B50は第二次大戦で使ったB29の改良型、B51は計画の身で終わったため、番号として飛ばされた、と様々なネットでの説明が見られる。
1972年12月のいわゆる「クリスマス爆撃」では、2万トンの爆弾でハノイの中心部などが集中的に狙われ、1,600人の市民の犠牲者を出した。ベトナム戦争史上最も激しい空爆だったという。B52もベトナム軍の地対空ミサイルや戦闘機によって損害を出した。作戦では、207機のB52と2000機の軽戦術機が出撃したが、そのうち16機が撃墜され、また9機が損傷した。
(https://milirepo.sabatech.jp/christmas-bombing-that-took-place-in-the-vietnam-war-50-years-ago-from-now/
「今から50年前のベトナム戦争で行われた『クリスマス爆撃』」より)
ニクソン米大統領が再選を果たして政権を維持したとき、当時米軍のベトナムからの撤退などの内容でまとまりつつあったパリ会議で、少しでもアメリカや「南ベトナム政府」の立場をよくするため、ベトナム民主共和国側の譲歩を引き出そうとしようとした爆撃だった、と言われる。この博物館では、特に1972年の「クリスマス爆撃」についての展示が中心であった。
ツアーのガイドが頼んでくれたおかげで、ハノイのジオラマとB52の空襲、それを迎撃したベトナム軍との攻防の様子を立体的に編集したプログラムが見られた。