バク・ホーの足跡の一端
最後まで住んでいた家の近くの記念館にある、ベトナムの国花の紙で造られた肖像画
バク・ホー(ホーおじさん)の愛称で親しまれている、ホー・チ・ミン。本名グエン・シン・クン。1890年にベトナム中部のゲアン省ナムダン県生まれ。父は儒学者で官吏。ホー・チ・ミンは、官吏を養成するフエの国学在学中に、農民たちの税金反対闘争に関わって退学処分となった。その後、外国船の見習いコックとなりフランスに長く滞在しつつ、アメリカなど世界を周った。ロシア革命に触発され、1919年、フランス社会党に入り、「安南愛国者協会」を結成して、パリ講和会議に、グエン・アイ・クオック(愛国)の名で請願書を提出し、植民地人民へのフランス人と同様な言論、結社の自由などの権利確立を求めたが採択されなかった。1920年にフランス共産党の結成に加わった後、1930年に香港でインドシナ共産党を結成した。彼の第一目的は共産主義革命よりも何より民族独立であった。フランスからは欠席裁判で死刑宣告された。1941年、中越国境を超えて30年ぶりに祖国ベトナムに帰国。ベトナム独立同盟(ベトミン)を組織して武装闘争の準備に着手した。1945年8月14日、日本が連合国に無条件降伏した隙をついて、19日にハノイで権力を握ったのを皮切りにベトナム全土をほぼ手中に収め、9月2日、ハノイのバーディン広場(名は19世紀後半に反フランス闘争をした地方の名にちなむ)で「ベトナム独立宣言」を読み上げた。
バーディン広場。右手に見える現在ホー・チ・ミン廟のあるところで独立宣言を読み上げた。
その後、ベトナムを再支配しようとしたフランス、次いで侵略して来たアメリカとの戦いを指導したが、1969年9月心臓発作で死去した。彼は遺言で、遺体を残さず、遺灰として北部、中部、南部の3か所に撒いてほしいと書いていたが、「南ベトナム人民が彼に会っていない」とかの理由で、後継者たちは彼の遺体をエンバーミング(遺体衛生保存)して、ホー・チ・ミン廟を作り、ガラスケースに入れて公開している。撮影は禁止だが、NHKが2025年1月27日に放送した「映像の世紀バタフライエフェクト ベトナム」の中に彼の指を組んだ遺体の画像が出て来ていた。私がここの中を見たときは、彼はそれぞれの腕を太腿の上に置いていた。ガラスケースの前後の角にそれぞれ一人ずつの計4人の白い服に身を包んだ儀仗兵が立っていた。また、その建物から北西に大きな池があり、それに面して、彼が1958年から最後まで住んでいた住居も公開されている。
この中で彼は永遠の眠りについている
この池の右手奥に赤い屋根のホー・チ・ミンの旧居が見えている
池には鯉がいて、毎日餌をやるのが日課だった
高床式のホー・チ・ミンの旧居
1階は壁のない会議室
2階は書斎や寝室になっていて、彼の使ったものがそのまま残されている