世界遺産ホイアンの煌めく美しい夜景
ホイアンは、トゥボン川の河口にできた街で、ハノイなどを中心とした北のベトナム国家の人々とは違う言語(オーストロネシア語族。台湾の先住民に一番近いという)のチャム族のチャンパ王国のときから海外との港町として栄えた。その後、ハノイの黎(れい)朝の支配下に形式上あった広南阮(げん)氏の下で、来航した日本の貿易船(朱印船)などと活発に交易し、日本人の住む日本町も作らせた。現存する、観光の中心の「日本橋」も日本人が建てたことにちなむが、その後鎖国政策で日本人が去ると中国人が商家を多く建築し、これら古い街並みが世界文化遺産となった。https://www.travel-zentech.jp/world/map/vietnam/Vietnam_Outline_Map.htm
私たちツアーの一行は、立て込む日程から、夜だけの、しかも雨の中のほんの一部の観光となったが、日本橋も見て渡れ、また様々な色の光に煌めく美しい夜景を味わうことができた。
遠くに日本橋を見る。手前はトゥボン川の手漕ぎの遊覧船(ボート?)。
川面に色とりどりの光を与えているのは遊覧船のランタン
灯籠や岸辺に吊るされたランタンも川面に色どりを与えている
岸辺と店先のランタン。右のは特にお洒落なデザインだと思った。旧暦の毎月14日はランタン以外の電灯を消して幻想的な雰囲気とするそうである。
日本人商人らによって架けられた「日本橋」。「来遠橋」とも言われ、現在は中国の寺院のようになっている。
「日本橋」への入口と内部
橋の両端に猿と犬の像がある。申の年に橋を作り始め、戌の年に完成したということを示す。現地のガイドの説明によると、赤い布は、普段死霊などの悪霊から守護している猿と犬だが、テトのときには人間の先祖の霊が橋を渡って来るので、妨害しないようそれらの目を覆って霊が見られないようにするためとのこと。お盆のとき先祖の霊が帰って来るとか、稲荷神社のキツネ像やあちこちの地蔵菩薩像が赤い布を首に掛けているという、日本の信仰との類似点を見た。
橋に通じる道には、両側に2階建ての中国風の建物が軒を並べ、商店や飲食店になっている。
日本のホイアンとの関わりの説明や、焼物、浮世絵、折紙など日本文化を伝える店もあった。
長崎の商人、荒木宗太郎(あらき そうたろう)は秀吉から朱印状(赤い印判を押した貿易許可状)をもらい、ホイアンなどで交易し、現地の実力者の娘を妻とした。鎖国政策のため、1632年、宗太郎は、その妻を連れて日本に帰国。妻は宗太郎のことを「アンオイ(アインオー)」と呼んでいたため、日本人たちは彼女のことを「アニオーさん」と呼んだ。「アンオイ」とは、ベトナム語で「ちょっと、あなた」という意味の呼びかけのフレーズだった。夫婦は仲良く暮し、彼女は1645年に長崎で亡くなって夫とともに葬られた。