My Favorite Thing
2025年のテト(旧正月)は1月29日からだったが、その準備のためなのか「フライイング」のためなのか、街中に次第に「晴れ着」の民族衣装、アオザイを着る女性が増えていき、男性もそれを着る人々がちらほら現れてきた。私はテトの様子を見るためにベトナムに行ったのではなかったが、1月半ばからのツアーのスケジュールだったため、「民族衣装鑑賞オタク」にはラッキーなたまらないときめきの日々であった。かつては年齢や既婚、未婚などで着るアオザイの色が決まっていたようだが、男女とも皆さんそれぞれ実にカラフルなアオザイをお召しになっていた。まず、ベトナム航空の機内の入口で、緑色が強めのターコイズブルー色のアオザイのCAがにこやかにほほ笑んで迎えてくれた。私の好みの色の1つでもあるその美しさに魅了されると同時に、もうベトナムに着いたような気分になった。なお、チーフCAと思われる方は山吹色のアオザイを身に着けていた。
もう御存知の方には、当たり前の説明となるが、アオはヴェトナム語で「上衣」、ザイは「長い」の意味で、アオザイとは「長い上衣」の意味である。以下、アオザイ専門店AROのサイト「アオザイとは」から引用させていただく。「アオザイの構造: 上衣は『チャイナカラー』と呼ばれる前合わせの立襟で、体に沿った細身仕立てで長袖が伝統的なスタイルです。着丈はふくらはぎ~足首にかかるほど長く、両サイドにはウエスト位置までの深いスリットが入っています。 下衣にはワイドなシルエットのパンツ(quan)を組み合わせます。この深いスリットとパンツを合せるスタイルが『チャイナドレス』とは異なる点です。※自注: チーパオ と読む
アオザイの歴史: 18世紀に清朝(中国)から移入されたチャイナドレス※『旗袍』が起源とされています。 その頃の旗袍は厚地の絹を使用していたのに対し、ベトナムでは天候に合わせた薄い布地を使用しゆったりとした形で仕立てるようになったそうです。19世紀に入るとフランス統治下の影響で西洋の要素が取り入れられ、華やかな色や新しい素材など、多種多様なアオザイが作られていきました。 形もゆったりしたものから、女性の曲線を強調したシルエットに変化しました。19世紀に現在のフィットしたシルエットが確立されたアオザイは、生地の柄や色はもちろんのこと上着の長さや首元のデザインなども流行によって変化しています。」(https://aro64.com/help/about_aodai.shtml)
ハノイでもホーチミンでも、皆さんテトの記念かテトでの何かのパフォーマンスの練習のためか、あちこちでアオザイにお目にかかった。街中が明るい幸せな雰囲気に包まれている感じだった。高校生や大学生は全身真っ白のアオザイを着ていると知っていたが、お目にかかれなかった。
このお若い方はホーチミンの統一会堂(独立宮殿)にいた。学生さんだったのだろうか? それとも記念写真にお好みの色として白を選ばれたのだろうか?
ホーチミンの郵便局前で。記念写真なのだろうが、誰かが「跳びあがってみよう!」と言い出してやったのかな?
ホーチミンのベンタン市場前の広場にて。この若いお二人連れは、お願いしたら快く撮影に応じてくれた。ありがとうございました。回りも記念写真をアオザイで撮る人で溢れていた。
ホーチミン市文化会館前にて。この日は休日だったため、多くの人がこの内外の売店にアオザイで来ていた。
ハノイ市内にて。何かの集団記念撮影会?
ホーチミンの高架鉄道のある駅のホームにて。カップルの記念写真。男性もアオザイ。