独立宣言と初三色旗掲揚の場は郵便局


 アイルランド全域は、1798年の大規模な反英闘争が鎮圧された後、1801年に正式にイギリスに併合され、「大ブリテン・アイルランド連合王国」が成立する。とは言っても、アイルランドはイングランドと対等な立場ではなく、様々な不平等、不利益が押し付けられたため、アイルランドでは、イギリスの政治制度下で自治権を拡大しようとする多数派と、少数派のアイルランド独立、共和制を目指す勢力が19世紀を通じて形成されていった。そして20世紀に北アイルランド以外の地域が共和国として独立する。
 何回も言っているように、今回のアイルランド旅行は、歴史に深入りするためのものではないので、この辺の歴史的場所を訪ねることは控えようと思ったが、たまたまアイルランドの簡単な歴史の本を読んでいて、1916年に反イギリスの武力闘争がダブリン中心部の中央郵便局を司令部としてなされ、また現在そこにその経緯を示す歴史博物館がある、と知ったので、行きやすい場所のここだけは訪ねてみようと思った次第である。
 結論的に言うと、この「蜂起」は失敗に終わって、市民の支持も少なかった。しかし、その首謀者たちが次々と処刑されていくのを見た市民たちが、おりからアイルランドに第一次大戦のため徴兵制を敷こうとしていたイギリスに反発をしたためもあり、急速にこの「蜂起」の人々が掲げた「独立アイルランド共和国」の世論を高め、紆余曲折をへて、北アイルランド以外の独立をかちとっていく起点になった点で、この「蜂起」(イースターに起こされたので「イースター蜂起」と呼ばれている)は決して無意味ではなく、歴史に大きな意義を残した。だからこそ、ダブリン中心部の現中央郵便局の脇と地下に、けっこう見ごたえのある博物館が存在しているのだろう。ちょっとマニアックな博物館だと思っていたが、土曜日に行ったせいもあり、けっこう多くの人が訪れていた。この博物館の内容と、簡単な事件の概要を紹介しよう。

この博物館が、1916年にアイルランドの独立のために戦った人々の記憶のために捧げられている旨の説明


 展示は、1913年から、1922年に独立を果たした後の1923年までの経過を追った写真付き年表と、当時の蜂起勢力の服などの現物展示と、15分程度にまとめた、役者の実演、コンピュータグラフィックスを駆使した「イースター蜂起」の映画上演などからなっている。特に、映画は、私の英語力では十分に説明や台詞が聞き取れなかったが、青年たちがサッカーボールを取らせるように警官を仕向けて武器を奪うところから始まり、郵便局の司令部が陥落するまでの事件経過がそれなりに分る作りで、興味深かったのでほぼ2回見た。


蜂起の前から貧困や不平等があり、改革が叫ばれていたという展示


       

反乱側の服装と、鎮圧したイギリス軍の軍服

蜂起軍がバリケードに使用したものと思われる


 

イースター蜂起のドラマ映画



 この事件の概要は次の通り。
 1858年に、武力によってアイルランドの独立と共和国化を求める秘密結社IRB(アイルランド共和主義兄弟団)が生まれた。 19世紀末に、アイルランド語の復興を掲げる運動が起きるなど、アイルランドのアイデンティティを確立しようという動きが高まったが、このような動きの背後にIRBも関わっていた。

イースター蜂起とは全く関係ない場所だが、現在この鉄道の案内板のように、アイルランド語と英語が両方使われている。ダブリン・ヒューストン駅にて


 第一次大戦が起きると、「敵の敵は味方」の論法で、ドイツから武器弾薬を調達して武装蜂起し、戦争中のイギリスを混乱させ、独立することを計画したのだった。首謀はパトリック・ピアース、これに社会主義者グループの「アイルランド市民軍」や急進的女性たちが結成した「女性連盟」が加わった。蜂起は1916年4月24日のイースターから始まった。ダブリンの中央郵便局を司令部として、ピアースらが「アイルランド共和国宣言」を署名し読み上げ、郵便局の上に現在の国旗になっている三色旗を掲げた。これに対し、武装警察やイギリス軍が攻撃し、1週間反乱は持ちこたえたものの敗北した、というものであった。多くの民衆を味方につけた「独立革命」とはならなかった。ただし、当初述べたように、その後の広範なアイルランド独立運動の起爆剤としての役割を果たしたことになった。
 中央郵便局が司令部として選ばれたのは、ダブリン市内の主要部に位置しており、その建物は堅固で広大なスペースを提供していて、都市部での軍事作戦を指導するための司令部として理想的だったのではないか、と考えられるとのこと。
 ところで、ドイツの武器だが、無線がイギリスに傍受され、アイルランド西海岸に銃を積んだ船でやって来たが、イギリス海軍の攻撃を受け、自沈したため、期待された武器は蜂起軍には渡らなかった。

   

「アイルランド共和国宣言」(Wikipedia「イースター蜂起」より)と、この旗自体ではないが、このデザインの三色旗が初めて世間に掲げられた。パトリック・ピアース(中右)、ジェームス・コノリー(右)


蜂起軍


 

事件直後の中央郵便局と現在の姿

 

現在、郵便局の中庭には、この戦いで亡くなった青年男女を追悼するオブジェが置かれている


 


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