私に善くしてくれた人々


 2025年、ラトビアを3週間近く旅行して様々な所に行きましたが、声をかけたり、いろんなことを訊いた人々には親切な方が多く、嫌な思い出(電動キックボードに衝突されたのは2024年)は一つもありませんでした。
 その中でも、抜群にありがたかったのが、Madonaマドゥオナというところのバスステーションの人々でした。
 ラトビアについて詳しく紹介するサイトを作るからには、その最高峰、標高312mの山を見たい、できれば登りたいと思っていました。日本に来る外国人が富士山に憧れるのと同じ気持ちです。「最高地点312mの平らな国」のページでも紹介しましたが、下の地図のGaiziņkalns ガイジンカルンスという山がそれで、東京タワーより低いのです。Google Mapsで見て、ある程度標高の高い、麓の駐車場からは10分くらいで歩いて登れることがわかりました。リガからマドゥオナまでバスで行き、そこからバスを乗り継いで駐車場に行けることも知りました。しかし、マドゥオナからのバスは毎日ではなく決まった曜日にだけ1日数本出るものであり、バスの発着時刻からは山に登ってリガに日帰りするのはの無理だとも。マドゥオナか別の近くの町でホテルに泊ることも考えましたが、その日が雨天になると悲惨だし、また、マドゥオナからタクシーで麓までの30分を往復する旅費の方がホテル宿泊代より安いだろうと思いました。事前にタクシー会社の電話番号もメモしておきましたが、どうも地元のものでは無いようなので、マドゥオナのバスステーションに行って相談することにしました。


 さて、2025年6月25日、晴天だったので行くことを決め、マドゥオナまではリガからバスを1回乗り継ぎ、そのバスステーションに正午過ぎに着くことができました。そして切符売り場の窓口の中年女性に、趣旨とタクシーを呼んでもらいたいということを、英語で言い、さらにガイジンカルンス、タクシーという単語を書いたメモを見せると、通じたようで、彼女はその場で電話をかけ始めてくれました。ところが、見ているとどうもダメなようで(日本のようにどの町でもタクシーが呼べるわけではないのです)、私は「しょうがない。まあここまで来たことを良しとするか」などとフロイト的「合理化」を図り始めました。しかし、彼女は、電話を切ると、近くのトイレの前にいた「番人」のおばさんや、一緒にだべっていたバス運転手のおじさんと何やら深刻な表情で相談し始めたのです。そしてまたどこかに電話をかけだしました。その後、初めの女性はまた他の二人と話をしていました。ラトビア語なので私には全く内容がわかりません。すると、バス運転手の男性が、ステーションの中のベンチに腰かけていた私の方にやって来て、「50ユーロOK?」と訊いてきました。もちろん私は「OK!!」。この国もクレジットカード社会ですが、現金を持ち合わせて来てよかったです。日本円で当時8,000円ですが、三ツ星ホテルの1泊分の宿泊費よりは安かったです。この国より物価の高いフランスのパリでハイヤーを頼んだら40分で40ユーロだったので、私の山登りの間の待ち時間込みで1時間以上の乗車だと考えると法外な料金ではありませんでした。まあとにかく行けるらしい、と分ってたいへん嬉しくなりました。
 そして10分待っていると、1台の乗用車が来て、彼女たちは「これに乗れ」と言いました。見ると、タクシーではないようで、ドライバーはちょっと太った中年女性、運転席の隣に老女が1人、そして私が乗る後部座席に小さな男の子が1人、何かのおもちゃを持って座っていました。ドライバーの女性は英語ができたので、この後車内で、日本から来た、ラトビアに来るのは3回目だとかいうような話をし、老女が彼女のお母さんで幼児は彼女の子供だということを聞きながら、山に向かいました。そして30分間、おそらくこの日はもう来ないであろうバスの停留所をいくつか見て、だんだん舗装がなくなっていく道を進み、ついに麓の駐車場に着けてもらいました。「私は足が痛いので登って帰ってくるのは時間がかかると思う」と言うと、彼女は「構わないよ。」と言ってくれました。あとはそこで待っててもらい、私は無事「最高峰」に登り、写真を撮って戻ってきました。一緒に来た男の子はそこにいた誰かの飼い犬と遊んでいたので、帰る段になると、嫌だ、と大声で泣き出し、お母さんドライバーに宥められていました。そして無事またマドゥオナのバスセンターに戻りました。50ユーロを払い、さらに、持ってきた私の荷物の中に未開封の日本のチョコレートがあったので「お子さんに」とあげたら、彼女はとても喜んでくれました。帰りの車内で訊いたら「私はタクシードライバーではない。このへんで別の仕事をしている。」と言っていました。つまり、即席の、日本で言うところの「白タク」だったのでした。彼女からすれば、いい臨時収入が入るし、子供は山で遊ばせられるしで、「一家揃って来た」のでした。それはともかく、いきなりやって来た初見の外国人の要望に、50ユーロがらみではありましたが、「ここにはタクシーは無いよ。お帰り。」と冷たくせずに、ここまでして応えてくれた、バスステーションの人々の親切と、実際にやって来て私を麓まで快く往復してくれたこの女性ドライバーには感謝するしかありませんでした。おそらく、ステーションのあの3人は、知り合いの、しかも英語ができるドライバーを選んで頼んでくれたのです。この3回目のラトビア旅行の一番の思い出になりました。

  

私をガイジンカルンスカの麓まで往復させてくれた車と女性ドライバー。マドゥオナのバスステーションの人々も撮っておけばよかったです。



 次に紹介する人は、Kuldigaクルディガという町のヴェンタ滝を見に行った後のホテルまでの帰りに出会った男性の話。
 この街は、古い家並みが残っていて、世界文化遺産に登録されています。別の言い方をすると、素人目には、皆同じような似た家々に見えるわけです。Google Mapsでとった地図はもちろん、ところどころの目印となる家の写真も印刷したものを何枚も持ってきて、大丈夫と、高をくくっていました。しかし、ある橋を渡ったところで、道が何本にも分れていて、目印の家と似た家々が並んでいて、来た時の記憶はあいまいで、持ってきた資料からではどの道に行くか分らなくなり、得意の迷子になってしまいました。こっちだったはずだ、と進んだ道にだんだん確信が無くなり、引き返して別の道に行くとまた心配になり、焦って来ました。そのとき、たまたまその道を私に向かって歩いて来た中年の黒づくめの服装の男性に声をかけ、ホテルまでの道を訊ねると、「ああ、そこならわかる。付いてきな。」と言ってくれました。ところが、ある道に入って歩いていると、彼は「おっと違う。ここじゃなかった。」と言い出し、道を変えたのです。私は、「ひょっとしたら、これはどこか人のいないところに連れて行って、金品を巻き上げようという悪人なのではないか?」と、ラトビア旅行で初めて怖くなってきました。でも、彼は「俺はこの町の友達を訪ねて来て、これからバスでリガに帰るのだ。俺は大工で、いろんな国に行って仕事をしている。」と歩きながら語り続けていたので、心配しつつも後を付いて行きました。そのうち、ホテルに続く見慣れた道路に出て、ホテルに入る小道のところで別れ、無事泊まっていたホテルに帰れました。彼は写真も撮らせてくれました。結局、この男性は善意で私に道案内してくれた人だったのです。道案内する、と言ったのに道を間違えたので、私は訝しく思ったのでしたが、彼もこの町の人間ではないので間違えつつも、私のために少し遠回りになるのに案内してくれた親切な人だったのでした。私もバスに乗るため、クルディガのバスステーションに後で行ったら、彼は語ってくれた通り、バスを待っていました。ただ、私は彼の待っているバスに乗ると、乗り継ぎのため降りるバス停にぎりぎりに着きそうで、予約してあるLUXバスというのに乗り損ねかねないので、急遽、ステーションのスタッフにタクシーを頼んでもらい乗って行ったので、彼とバスを一緒にすることはありませんでした。

  

左が迷った橋のあたり。右が親切に道案内をしてくれた彼です


  


ラトヴィアのスケッチへ


情熱のラトヴィア歌と踊りの祭典へ

全体のホームページへ