「虎の檻」から戻った政治囚たち


 ホーチミン市での旅程に「元政治囚の歌と踊りのグループと交流」という企画があったので、弾圧を耐え抜いたゴツイ男の戦士たちのグループか、と思っていた。フランス統治時代から、体制に反対した人々の多くは、特にコンソン島の「虎の檻」と呼ばれた監獄、いや檻に入れられ、突かれたりする拷問を受けた。ホーチミン市の戦争証跡博物館にはそのレプリカが展示してあった。私がこんな中に入れられたらとても自分の信念など貫けないだろう。
 



 ところが、会場で待ち受けていたのは、私と同年代またはより年上と思われる20名近くのあば(あ)様方(失礼!!) であった。彼女たちはこのような檻に入れられて殴られても突かれても、解放の日々が来ることを信じて皆でよく歌を歌ってきたという。たいへん驚かされた。毎年テトが近づくと、皆さんで集まり、旧交を温めているそうである。演目はベトナム語でやられたので、細かいことは分らなかったが、監獄の中でも解放戦線の一員として戦う信念を持ち続け、やがて解放軍によって救われた、というストーリーであった。やや教科書的な話だが、実際の体験者が演じられているのを見て、涙を禁じ得なかった。 

彼女たちが首に巻いているものは、解放戦線のシンボルだとのこと。

 
この後、田植え歌などがあり、最後にテトを寿ぎ、日本とベトナムの友好を願う(と私が思った)歌 が歌われた。

青いアオザイの女性たちが手にしているのは、ホーチミンでテトを祝う黄色い梅の花。


 最後に、自由な交流の機会があり、私が質問したことに対する答は、「16歳から入獄された人がいた」「20年間も入れられていた人がいた」「日の丸を見ても別に嫌な感情はもたない」だった。皆で一緒に記念写真を何枚も撮り、出口に並んだ一人一人から順に見送りを受けて帰ることになった、覚えたてのベトナム語で「シン・カムオン」(どうもありがとうございました)と次々と挨拶しているとき、ある女性から頬にキスを受けた。私が「高校時代から反戦運動に参加していた」と自己紹介していたからかもしれない。



今に残る戦争の跡のスケッチ 

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