➂Comares コマレス宮
Comaresの「語源は、アラビア語の『アルシュ』に由来する。アルシュは、多くのアラビア語と同様、『テント』、『玉座』といった意味を持つ。」(サイト「Torre de Comares: la jaima de piedra」の日本語訳より) この西にある「ライオン宮」がスルタンの私生活の場であるのと対比される、政治の場であった。実際、ここで、スルタンのボアブディル(在位1482~83年、1487~92年)がアラゴン・カスティーリャ両王に降伏することを決定したという。

コマレスの塔と大使の間
外から見ると、下の写真のピンクの←で示したところ。さらにその下の写真はコマレスの中庭から見た塔。この塔の中に「大使の間」がある。



大使の間。スルタンの玉座が置かれて諸国の大使を謁見した。ナスル宮の中で最大の部屋。
天井は「イスラムの天国にある七つの空の象徴で、中央の鍾乳石飾りの立方体には神の玉座が表現されており、そこから四方に四本の生命の樹が伸びています。」(サイト「AlhanbraDeGranda.org」より)
更に、「天窓がいくつか設けられていて光の量が調節されていますが、それも太陽光が王座に集まるように計算されているとか。後光がさしているような形で見えたのかもしれません。」(サイト「豪華な装飾!アルハンブラ宮殿「大使の間は王こだわりの間!」より)

「天井から少しずつ目線を落としていくと、漆喰細工で作られた壁があり、その下にタイル装飾された腰壁があります。この漆喰細工も実に見事で、アラベスク模様など緻密に描かれています。」(同上サイトより)
船の間この大使の間への控室だった。「その名前は、半円筒形の丸天井の形が、逆さになった船の船体に似ていることに由来するのか、あるいは、壁のしっくい細工の中でしつこく繰り返されているアラビア語の『アル・バラカ(祝福)』に由来するのかもしれない。 ・・・オリジナルは1890年9月15日の火災でほぼ全焼し、1965年6月に図面、写真、引き揚げ部品に基づいて修復が完了した。」(サイト「EDIFICIOS Y LUGARES」の「SALA DE LA BARCA」の日本語訳より)」)

アラヤネスの中庭広さ36m×23m、池は34m×7.1mである。「その意図は玉座の間の内部に自然を導入することであり、・・・コマレス宮殿に湿度、換気、芳香を与える・・・。」
(サイト「granadadirect El Patio de los Arrayanes」の日本語訳より)池の両側に銀梅花(ぎんばいか 学名Myrtus communis)、英語マートル、アラビア語アラヤ、ドイツ語ミュルテ(日本ではミルテとも)という白い花を咲かせる常緑低木が植えられており、この名で呼ばれることが多い。この緑と床の白い大理石とが互いに映えている。庭はその美を醸し出すよう、完全に計算された左右対称となっている。両端には2つの円形の床噴水がある。それぞれの噴水からの水は短い水路に沿ってプールに向かうが、水路は水がプールに流れ込む前にゆっくりと一時停止するように設計されているため、波紋の形成が抑えられ、水面の静けさが保たれている(Wikipedia「Court of the Myrtles」の日本語訳より)。

北側から南側を望む。二階建てのアーチの並ぶ、広間のある建物がある。その後ろの、この風景に馴染まない大きな建物はカルロス5世宮殿であり、これが建設されたときこの南側の建物はかなり取り壊され、美観を保つため、現存する部分だけが残されたという。

南側から北側を見る。後の塔はコマレスの塔。快晴ではなかったが、晴れた日にここに来られてこの写真が撮れたのはよかった。
東西両側の建物は、女性たちの住居だと言われる(サイト「AlhambraDeGranada.org アラヤネスの中庭」日本語訳より)。