アルハンブラ宮殿とヘネラリフェ

 イベリア半島の大半を支配していたイスラム勢力が、キリスト教徒のレコンキスタ(国土回復運動)で敗北し続け、最後に残った勢力であるナスル朝がグラナダの丘に築いた砦と住まいである。
 ナスル朝は、1232年、アンダルシア地方で他のイスラム勢力との抗争を勝ち抜いたムハンマド1世により建国された。「ナスル」というのは彼の出身部族名に由来するとのこと。首都がグラナダと定められ、後継者ムハンマド2世までの60年間に、それまでのイスラム勢力が築いていたこのアルハンブラの砦にシエラネバダ山脈からの水を引き、宮殿を建築した。第7代スルタン(国王)ユーフス1世(在位1333~54年)、第8代スルタン、ムハンマド5世(在位1354~59年、1362~91年)のとき、現在の形にまで完成した。「アルハンブラ」とはアラビア語で、「赤い」「赤いもの」という意味で、宮殿が赤かったためなど諸説あるが確定していないとのこと。
 総面積約14,000㎡のこの宮殿は観光場所としてたいへん人気があり、予約が多く当日分チケットは限りがあって、予約しておかないと入場が厳しい。とりわけ「ナスル宮」と呼ばれるところ(下の全体図の②➂④のところ)は事前に入場時刻の指定までされ、遅れると中に入れてもらえない。
 アルハンブラ宮殿は、大きく分けると下の地図のように「アルカサバ」(砦)①、「ナスル宮を中心とした宮殿、城内街」②➂④⑤⑦からなり、そして北側に「ヘネラリフェ」⑥という夏の離宮がある。
 下のアルハンブラの全体図の丸付き数字をクリックすると、それぞれの写真と説明が見られます。

アルハンブラ宮殿にあった全体図


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