オーストリアの影響をさらに見る
第一次大戦が終わるまで、長い間オーストリアの支配下にあったため、料理以外にもオーストリアの影響が様々見られる。リュブリャナなどの旧市街の建物の壁は様々な中間色の色で塗られている。チェコなど同様に支配下にあった国もそうであった。2024年、1日だけだが初めて本家オーストリアのクラーゲンフルトというところに行き、本家でも同様なことを確認した。
リユブリャナ旧市街。クリーム色、ライトグリーン、ベージュ、ライトピンクなど明るく柔らかい中間色で家々の壁が塗られている。
「本家」オーストリアのクラーゲンフルトの街並み
プラハの広場(2000年撮影)。
それから、オーストリア帝国の支配下にあったことに関連するものは、カトリック信仰とその教会である。オーストリア帝国が、元は「神聖ローマ帝国」として、皇帝がカトリックを保護するとともに、その現世支配の正当化のためにカトリックと結びついていたため当然ではあるが。スロヴェニアには、教皇--枢機卿--大司教--司教というカトリックの階級のうち、リュブリャナとマリボル市に大司教座があり、他の3つの市に司教座がある。カトリック信者は、2002年の国勢調査で人口の57.8%。カトリックの発表の方では2000年に82.6%としている(『スロヴェニアを知るための60章』のクセニア・シャベツ著/アンドレイ・ペケシュ訳「宗教」より)。
大司教座のあるバロック様式のリュブリャナ大聖堂(聖ニコラス大聖堂)。天井のジュリオ・クアリオによるバロック様式のフレスコ画。入口の扉の歴代大司教の肖像がユニーク。
町の辻に聖母子像を祀る祠をもつところもある。
カムニクにある祠
村々の中心にも教会がある。