セビーリャの春祭りを見て

                       ーーー美しい女性たちと馬の「アレ」が印象に残った


 Feria de abril de Sevilla(フェリア・デ・アブリル・デ・セヴィーリャ)といういわゆる「セビーリャの春祭り」があり、そこに参加する女性たちは、皆フラメンカ(またはフラメンコ衣装)という民族衣装を着て参加するというので、「民族衣装おたく」の私は前々からどうしても行きたかった。2024年4月、たいへんな円安で厳しかったが、ついに夢を叶えた。この祭りでは、現地に並ぶ1,000を超える「カセタ」という仮設テントには、その中の人の招待が無いと入れないし、誰もが入れるカセタはあるがその数は限られており、込んでいるため、集団のツアーが組みにくく、そのためこの祭りに参加する日本の旅行会社主催ツアーはかなり少ないようである。したがって、参加したことのある人は他の祭りに比べて多くなく、私が閉口した「あること」にはネットで触れられていないようだ。 
 4月18日の午後4時ころから1時間ばかり参加した報告をしたい。
 当日の昼前に、セビーリャ旧市街のホテルに着き、チェックイン時間までそのロビーで時間をつぶしていたが、ホテルの前を数回、着飾った女性たちを乗せた馬車が通り過ぎるのが見られ、私は心が踊った。
   
 会場は、下の地図に示すところで、この祭りを毎年開催するための場所として、普段からずっと空けられている。ここに、主として復活祭の後の約2週間後の火曜から日曜(2024年は14日の月曜~20日の日曜だったが)にかけての6日間(したがって、だいたい4月から5月のどこかになる)、特定のグループごとのカセタが設置され、人々は着飾って、飲んだり食べたり踊って過ごすのである。それも毎日深夜までという。Wikipediaの説明によると、これは1847年から始まった家畜の見本市に起源をもち、次第にその見本市の色彩が薄れ、今日のような春の到来を喜び楽しむ祭りとなったとのこと。上の写真のように馬車で来たり、馬に乗って来るのは「ブルジョア階級の人々がスペイン各地から馬や馬車で訪れていたことの名残り」だという。


上の赤い枠で囲ったところに多数のカセタが密集して設置される


 ホテルのフロントで場所を聞くと「ここから歩いて30分くらい」と言われたが、セビーリャの地図を見ると迷路の集大成の様に思えて、「絶対これは迷う」と考え、一番間違いのない川沿いの道を進むことにした。この日はおそらく30℃近くになったと思われ、私は迷わなかったものの、かなりの遠回りになったため、結局、1時間以上炎天下を歩くこととなった。ホテルの前のタクシーに乗ることも考えたが、帰りは込み合ってタクシーを拾えないだろうと思い、歩いて迷わず帰るためにも間違いのない道を行くことにしたのだった。
 今回失敗したのは、過去の祭りの写真を見ると、男性もネクタイをしたりして着飾っているため、私もジャケットを着て革靴を履いて歩いたことだった。現地に着いたらネクタイをしようと用意もしていった。しかし、会場で分ったことだが、そこまでフラメンカで装った「彼女」を連れて行く男性がそのように正装するのであって、1人で行く私には意味がなく、ジャケットを着て汗をだらだらかいたばかりか、後で書くように新品の革靴はとんでもないことに遭遇したのである。
 上の地図の会場から見て北東の橋を渡ると、着飾った美しい女性たちがたくさん一定の方向に歩いていて、もうこれで会場に来たのも同然。回りを見渡すゆとりが出てきた。通りの両側のアパートの各階のベランダには、祝賀ムードを盛り上げるために一役かうように、おそらくはカセタのグループに関するものであろう旗などがあちこち掲示され、華やかな気分を醸し出していた。

  

(左)セビーリャは4月なのに南国のよう。 (右)会場近くのアパートは華やかさを盛り上げる旗のようなものを掲げていた。


 そして、ついにフェリアの入口の門に達した。私は入ってすぐ右手にあった「Info」に行き、会場全体の地図をもらい、その中に多数の黄色で示された多くのカセタに混じって、青や緑色で示された5~6箇所のカセタが「公共のカセタ」であり、誰でも入れることを確認した。また、心配していたトイレが各カセタの中にあることも分って安心した。余裕が出てきて、通りかかったちょっと年配の女性たちの乗っている馬車にレンズを向け手を振ると、彼女たちは喜んで歓声をあげて手を振り返してくれた。この入口近くには馬車が次々とやって来ては停まり、女性たちは降りるが、馬はその場に繋がれたまま放置されていた。また、けっこう会場の奥まで入っていく馬車もあった。
 なお、会場へも、公共カセタへも入場料は要らなかった。


会場の入口の門。ちなみに黄色い車は散水車


着飾った女性たちが次々と馬車で到着する

  

(左)馬も着飾る。 (右)目線をくれたこの男装のような女性、とても凛々しくて、惚れました!!

立ち並ぶ、特定グループごとの仮設テント「カセタ」


あるカセタの中の様子


 どの「公共カセタ」に行こうかと思ったが、Infoから一番近いところを覗いたら入れそうだったのでそこにした。中では大音響で音楽が流され、多くの老若男女が立ったり座ったり、飲んだり踊ったりだった。小さな子どももいた。
 このカセタの中で、普通の大きさのプラスチックコップ1杯のビールを買ったら1.5€だった。帰りのトイレが心配なので、飲み物はこれだけにしておいた。食べ物は見当たらなかった。満席で座ることは出来なかった。撮影は全く自由なようで、一眼レフの写真や、スマホのビデオを撮りまくった。


 

皆が踊っているのは、フラメンコの要素に通じるものがある、というアンダルシアの民族舞踊の「Sevillanas(セビジャーナス)」というものだそうである。写真を背景にした小さなステージのようなものもしつらえてあった。


 この後は、カセタの外に出て、片っ端から女性たちに「May I take your picture?」と声をかけて写真を撮りまくった。断られたケースは全くなかった。素人表現でこのアンダルシア地方の民族衣装の特徴をまとめると、「頭に薔薇などの造花を付け、袖やスカートの裾に多重のフリルを付けたワンピースを着て、フリンジ付きショールを肩から掛けるもの」、と言えるだろう。


 

右の女性たちは10代と思われ、踊りの練習をしていた

  

右の赤い衣装の女性の彼氏?夫?は「webに顔出ししてもいいよ。」と言ってくれたが、彼女自身の意向を聞けなかったので顔はぼかした




 ここまで、楽しい話、美しいものの話をしてきたが、ここの雰囲気を紹介するためには、どうしても伝えなければならないことがある。上の写真のように散水車がときどき水を撒いていたが、理由があった。実は、会場に入ってすぐ、臭いに敏感な私は「臭(くさ)い」と感じたのだ。それは馬が会場のあちこちで排泄する「アレ」のためである。その「アレ」の乾燥した部分が粉となり空中に舞って、皆一部を吸い込んでいるわけであった。人間は物事を五感で感じたままに記憶するというが、今でも私は美しい衣装とともに「アレ」の臭いを一緒に思い出してしまう。これを少しでも防ごうと、散水車が水を撒いているのである。ただ、「臭い」には「慣れ」がつきもので、そのうち気にならなくなった。しかし、より大きな「被害」を受けた。せっかくの新品の革靴だったが、できるだけ踏まないように気を付けていたものの、道路の濡れていたところを通らざるを得なかったため、「アレ」が少し靴の裏にこびりつき、ホテルに帰ってからバスルームで真っ先に洗うことになった。また、穿いていったズボンの裾がうっすらと黄土色になっていた(長く歩いて付いた土埃かもしれなかったが)。ズボンやワイシャツは袋に入れて密封したが、ジャケットや帽子は替えを持ってこなかったので、着続けていくと、この後の旅程で他人から「臭い」と思われないか心配になった(幸いそのようなことにはならなかった)。今後、この祭りに行く方々は、この点を覚悟してほしい。
 そんな困難もあり、かなり会場内を歩いて(というより会場まで歩いてきたので)、足が痛くなり、1時間くらいの滞在で引き上げることにした。会場入口近くで運よくタクシー乗り場を見つけると、長い列は出来ているものの、次々とタクシーがやって来ているのが分った。それで10分くらい並んで待っていると、少し前の方にいた男性たちが、私に「ハポン?」と言って来たので、「ハポン」と答えると、何と順番を譲ってくれた。そのような親切もあり、無事タクシーに乗れて、まだ会場に向かう馬車も多く走っている車道を通って無事ホテルに帰れたのだった。
 ちなみに、このフェリアの最中、この会場よりかなり遠くの、例えばセビーリャ大聖堂のあたりでも、観光客を馬車に乗せる商売がやられていたので、「馬の落とし物」にはセビーリャの街中のあちこちで気を付けなければならなかった。


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